Interviews in America
 

1999年9月13日〜22日までポスドクとしての留学先を決めるため、
ダラス、ニューヨーク、サンフランシスコをまわって面接してきました。

どうしてこんな旅をすることになったかというと、それはちょっと
長くなるのでこちらをご覧下さい。

ダラス編

JJさんの研究室はテキサス州のダラス サウスウエスタン メディカルセンターという
ところにあります。一つ問題だったのは場所がダラスだという点でした。ダラス・・・。
う〜ん。一体どんなところなんだ!?無知な僕にはほとんど想像できませんでした。
イメージとしてはカウボーイとケネディ暗殺という、少なくとも西海岸などと比べると
お世辞にもいいイメージは持ってませんでした。でもダラス在住の人のホームページなどを
見てみると結構快適みたいだし・・。やっぱ偏見を持ってはいけないよなあ。

ダラスに着いたのは4時くらいだったかな?入国審査を終えて空港のロビーに行ったら
デカイお兄さんが”Dr. SATO”と書かれた紙を持って立っていました。黒いスーツと
黒いサングラスでえらく良い体格をしていらっしゃる・・・。かなり恐かったです。
彼はメディカルセンターに雇われている運転手らしく付いていって見ると黒塗りのリムジンが・・・。
で、でかい。う〜む。ワシも偉くなったもんだ。ホントはまだDrじゃないんだけど・・。
車内はひろびろとしてましたが、貧乏性の僕はかえって落ち着きませんでした。ずっと
リュックを抱えている姿はきっとぶざまであったことでしょう。

ホテルに着くまでの間に運転手のお兄さんにダラスのことを聞いてみると、なんと
ショックなことに、「結婚して家庭があるなら良い所だが、一人身なら退屈だ。俺も
金を貯めたらダラスとはおさらばだ。」とのことでした。なに〜!
で、ダラスの他にニューヨークとサンフランシスコも行くと言ったら、「俺なら
サンフランシスコを選ぶな」だそうです。う〜む・・。

ただ、ダラスを去ったときの帰りの運ちゃんは品のいいおじいさんで、その人は
ダラスは最高だと言ってました。その人はイラン人で、PhDを持っていて、イランで
は歴史の先生をしていたんだそうな。じゃあイランに帰りたくないんですか?と
聞いたら、なんと革命の時に亡命して来てブラックリストに載っているから
帰りたくても帰れないんだそうな・・。日本に生まれて良かった・・・。


てなことを話しているうちにホテルに着きました。
部屋はJJさんが用意してくれていたのですが
・・・広い!トリプルの部屋だったという
のもありますが、春のシアトルの学会の時に3人
で泊まった部屋の少なくとも倍は広かった。こりゃ
あすごい。格安ホテルにしか泊まったことのなかっ
た僕としては広すぎてかえって落ち着かないくら
いでした。右の写真はその部屋からダラスの中心
部を写したものです。見れば分かるように、かな
り遠くの方にありますねえ・・・。

なんて、実はそうのんびりしてもいられません。
というのは5時半にはJJが迎えに来てア
イスホッケーの試合を見に行くことになっていた
からです。日本時間ではもう朝だからこれはつら
い!ロビーで待ち合わせをして、ちょっと食事を
してから試合のあるスタジアムに行きました。
プロアイスホッケーの試合でダラス スターズ対シカゴ ブラックホークスだったんですが、
僕はアイスホッケーなんて観るのははじめてです。実はこの試合のチケットはお金持ちの
人が研究所に寄付してくれたものなんだそうです。スタンドの1ブロックはまるまる空いて
いて、そこは学科の人のための座席になっているのです。でも実際にはみんな忙しいから
来てない人も多いんですけど。
選手たちの戦いを観ながら、自分も猛烈な睡魔と戦っていたわけですが、随所でいかにも
アメリカだな〜と感じる場面があって楽しかったです。派手な演出。乱闘。そしてシカゴの
チームが点を入れても水を打ったようにシ〜ンとしているのに、ダラスが得点するととたんに
どんちゃん騒ぎが始まるという・・・。あんまり露骨なんで笑ってしまった。


ホテルに帰ったら瞬間的に爆睡。でも次の日はメインイベント
です。彼の研究室を見学し、さらに自分のいままでの
仕事についてセミナーで話さないといけません。実を言うと
僕は日本の学会でも口頭発表というのをしたことがありません。
だからこれは生まれてはじめの口頭発表。しかも英語で。これ
は正直恐ろしかった・・・。朝早めに起きて必死で虎の巻と
にらめっこしましたが、効果はあるんだろうか?

右の写真が研究所で、これもダラスのお金持ちの寄付に
よるものなんだそうです。昨日のアイスホッケーといい、
ダラス恐るべしですね。

Department of Developmental Biologyというだけ
あって、発生をやっている人ばかりが同じフロアーに集まって
います。だから研究室が違って生物種が違っても、頻繁に
ディスカッションして互いの研究を刺激し合うことができます。
ちゃんとDepartmentのディレクターという人がいて(研究もしてる)
その人が学科全体の方向性を考えて研究者を集めるのだそうです。
さらに各部屋の間にはドアがなくて、自由に行き来できるように
なっています。これは素晴らしい。日本の大学とはかなり異なったシステムですよね。
日本だと一つの学科にバラバラの分野の研究室を集めようとするから、例えば僕のいる所だったら
ハエやってたり酵母やってたりNMRやってたりするわけです。しかも興味の対象がてんでばらばら。
こうなると他の研究室のセミナーを聞いてもちんぷんかんぷんだし、まともに相手の研究を理解す
るのは極めて困難です。それくらい幅広い分野を網羅するというのは理想としてはいいのでしょう
が、実際にはほとんど不可能なのではないかと思います。


 

左の写真がJJさんで、彼のオフィスで撮ったものです。
このDepartmentには日本人の研究者が比較的多くいました。
そのうちの一人はなんとあのklotho (老化を引き起こす
ミュータント)のKさん。今はここで自分の研究室を構えて
いらっしゃいます。リプリントも頂いてきました。
Fさんという方はつい1週間ほど前にここに研究室を開いた
方で、昼食をご一緒しました。研究者は自分の研究室を持って
なんぼのもので、その点アメリカでは若い人でも業績があれば
立派な研究室を持たせてくれると、アメリカへの留学を強く勧めて
くれました。またYさんというポスドクの方が隣の研究室にいて、
ダラスの生活について教えてくれましたが、やはりダラスの夏は
猛烈に暑いそうです・・・。




あそうそう。セミナーの方はなんとかつつがなく終わりました。彼の研究室には
つい最近ハエを始めたばかりのポスドクが一人いるだけだし、他の研究室はハエではなかった
ので突っ込んだ質問をしてくるのはJJさんだけでした。しかも彼には以前学会で話したことが
あるので、まあよく考えたら恐れるほどのことでもなかったのかも知れませんね。でもダラスの
次はニューヨークで、あのGSさんだから、これはちょっと恐いかも・・。セミナーに来る
ポスドクの女の子をよく泣かしてしまうという噂もあるし・・。俺も泣かされたりして・・。
なんていう不安を抱きつつもニューヨークに向かったのでした。

Next